大阪地方裁判所 昭和49年(ワ)2215号 判決 1977年3月04日
原告
株式会社三愛
右代表者
市村ユキエ
右訴訟代理人
井上福太郎
被告
株式会社ミスターサンアイ
右代表者
田中徳七
右訴訟代理人
高藤敏秋
外二名
主文
一 被告は店頭の広告燈の
の、店頭の看板の
の、入口シヤツターのの、店舗案内板の
の、定価札のの、レシートの
の、買物袋の
の各文字の記載部分をいずれも抹消せよ。
二 被告は「株式会社ミスターサンアイ」の商号を使用してはならない。
三 被告は大阪法務局昭和四八年六月一日受付をもつてした被告の設立登記中、「株式会社ミスターサンアイ」の商号の抹消登記手続をせよ。
四 原告のその余の請求は、いずれも棄却する。
五 訴訟費用はこれを五分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。
事実《省略》
理由
一原告会社設立の経緯及びその概要<証拠> によると、訴外亡市村清は終戦に伴つて外地から引揚けてくる社員に職場を提供するとともに自己の座右の銘である「人を愛し、国を愛し、仕事を愛する」という三愛主義の経営理念を実現すべく昭和二〇年一一月に個人経営の形態で「三愛商事」という商号を使用して主に食料品の販売を開始し、次いで昭和二三年八月三一日にこれを会社組織に改めて商号を「株式会社三愛」、本店を東京都中央区木挽町五丁目二番地、支店を同区日本橋室町一丁目五番地一及び同区銀座五丁目二番地一、目的を繊維製品、日用品雑貨、食料品、事務用品及び紙製品等の販売、資本金を金一〇〇〇万円として原告会社を設立登記し、自らその代表取締役に就任したこと、以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
二被告会社設立の経緯及びその概要
訴外田上徳七は昭和三六年に大阪市北区天神橋筋四丁目四四番地の約13.22平方メートル(四坪)の店舗(一号店)で妻の発案によつて採用した「三愛」という商号を使用して個人経営の洋品店を開業し、同四〇年には同区天神橋筋五丁目四八番地に33.05平方メートル(一〇坪)の二号店を、同四四年には同区天神橋筋五丁目二〇番地に約23.14平方メートル(七坪)の三号店を、同四五年には大阪市南区難波新地の千日デパート内に99.17平方メートル(三〇坪)(その後、165.28平方メートル((五〇坪))に拡張された。)の四号店(但し、同四七年に千日ビルが全焼し、未だ復旧していないので、同店は現在閉鎖中である。)を、同四六年には大阪市北区阪急フアイブ二階に99.17平方メートル(三〇坪)の五号店を、同四七年には同区富国ビル地下街に約33.05平方メートル(一〇坪)の六号店をそれぞれ開設し、順次その営業を拡大したこと及び訴外田中徳七は右個人経営の営業全部を譲渡して、昭和四八年六月一日に商号を「株式会社ミスターサンアイ」、本店を大阪市北区天神橋筋五丁目四八番地、目的を服飾洋品雑貨の卸並びに小売販売、スポーツ及びレジヤー用品の販売等、資本金を金五〇〇万円として被告会社を設立登記し、自らその代表取締役に就任したことは当事者間に争いがなく、いずれも成立に争いのない乙第二、第九号証及び被告会社代表者の供述によると、訴外田中徳七は昭和三六年五月にそれまで勤務していた株式会社富尾時計店を退職し、同年八月に借入金等約一〇〇万円を資金として賃借店舗(一号店)において紳士洋品店を開業したものであるが、当初は右一号店の二階に居を定めて、従業員を雇傭することもなく、妻の助力のみでその経営に当つたこと、右訴外人は立地条件を厳選のうえ、商品構成、顧客に対するサービス等に配慮して右のとおり順次店舗数を増加させ、被告会社設立後の昭和四九年一二月一日には大阪市南区難波新地二番町のナンナンタウン内に七号店を開設したこと及び被告は昭和五〇年六月一〇日にその営業目的を主として紳士服飾洋品雑貨の卸並びに小売販売等に変更したこと、以上の事実が認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
三商標法にもとづく請求
(一) <証拠>によると、原告が左記商標権を有することが認められる。
登録商標 別紙目録記載のとおり
指定商品 第三六類 被服、手巾、釦紐及び装身用「ピン」の類
登録出願番号 昭和二六年商標登録願第四四二四号
商標登録日 昭和二八年一〇月八日
登録番号 第四三二七〇一号
(二) いずれも撮影日時及び被写体につき争いのない<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
つまり、被告は、紳士服飾洋品等の販売に関して、店頭の広告燈に
の各標章を、店頭の看板に
の各表彰を、入ロシヤツターにの標章を、店舗案内板に
の各標章を、定価札にの標章を、レシートに
の各標章を、買物袋にの標章を、それぞれ附していること、以上の事実が認められる。
なお、原告は、「被告は店頭の看板、日除けテント、入口壁面、店内掲示物件等に『三愛』、『男子専科SAN-AI』等の表示を掲げ、また、商品のレツテル、ラベル、正札、包装紙、包装用袋、包装箱、レシート、チケツト等に『SAN-AI』、『ミスターサンアイ』等と表示している。」旨主張するところ、いずれも撮影日時及び被写体につき<証拠>には右主張に副う記載部分があるけれども、撮影日時及び被写体につき<証拠>によると、右部分はいずれも過去における右標章の使用状況を表示するものと認められるので、たやすく措信できず、他には右主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。
(三) ところで、被告は、「商品に標章を附することは別として、右広告燈等に右認定の各標章を附するのはいわゆる商標の使用ではなく、営業主体の表示、つまり商号として使用しているにすぎない。」旨主張するけれども、商品自体に標章を附することは勿論、商品の包装、商品に関する広告、定価表又は取引書類に標章を附することも商標の使用に該当することは商標法二条の規定に照らして明らかであり、右主張は被告の独自の見解であつてとうてい採用することはできない。
(四) そこで、本件登録商標と右(二)において認定した各標章とを対比すると、右標章中の「MENS SHOP」、「メンズショシプ」、「Mr.」、「紳士服」、「男子専科」の各字句はいずれも被告が紳士服飾品の販売をその営業目的としていることを、また、「JUN」は右商品の製造業者名を、さらに、「YOUNG」は被告の顧客対象をそれぞれ表わすものと解せられるところ、その字句の大きさ、配列態様等を考え合わせると、右各字句はいずれも附記附飾的に表わされているにすぎず、各標章の主要部分は「SAN-AI」又は「三愛」であると認められる。
そうすると、本件登録商標と右各標章の要部である「SAN-AI」又は「三愛」とはいずれも呼称、観念が同一であるので、両者は類似するものというべきである。
(五) 次に、原告は被告に対し、「被告は被服、手巾及びこれらに類似する商品に『SAN-AI』又は『三愛』の標章を使用してはならない。」旨請求するけれども、被告が現在その販売にかかる紳士服飾洋品自体に右各標章を附しているとの点については何らの主張、立証がないばかりでなく、被告は後記認定のとおりジユン、ヴアン等のメーカーが製造した商品のみを販売しているものであるから、現在のところ被告が将来において商品自体に右各標章を附するおそれがあるとも認められないので、右請求は理由がないものといわざるをえない。
(六) 結局、原告の本件商標権にもとづく請求中、前記(二)において認定した各標章の抹消を求める部分は理由があるけれども、その余の部分は理由がないものというべきである。
四不正競争防止法にもとづく請求
(一) まず、原告の商号等が本邦の地域内で広く認識されていたか否かについて判断する。
<証拠>を総合すると、
(1) 原告は昭和二五、六年頃からその営業目的を主として若い女性向の衣類、服飾品の販売に切り替え、東京都中央区銀座尾張町角地の店舗において店内の装飾及び陳列並びに企画に趣向をこらして「おしやれの店三愛」という呼称で若い女性を対象に時代の先端をいく独創的な意匠による商品の販売に努めたところ、これが右顧客層に大変歓迎されて驚異的な売上げ高を示したこと、
(2) 原告は昭和三三年一〇月一日西銀座デパート開店と同時にその中に広大な店舗を開設して西銀座店としたほか、同三五年七月一〇日には札幌市中央区南二条西二丁目二三番番地に札幌店を開設したこと、
(3) 原告は昭和三五年一月一日に右(1)記載の主店舗である三愛デパートを改造して人工衛星を型どつた総ガラス張りの三愛タワーの建設計画を発表したところ、これが世人の注目を集めたこと、
(4) 原告は昭和三六年八月までに札幌市、仙台市、静岡市、福岡市、広島市、姫路布、岡山市、長崎市等の全国主要都市の有名な百貨店等の中に原告が自己の店頭販売にかかる商品を相手方に卸売をし、これを相手方の責任と計算において、「銀座三愛」の看板を掲げ、且つ包装紙、価格表示等は原告会社と同様のものを使用して顧客に販売するいわゆる三愛コーナーを右百貨店等の強い要請にもとづいて、厳選のうえ、二一個所設置したこと、
(5) 原告は自ら昭和二九年一〇月一日から同三六年三月三一日までの間に総額一億七〇〇万円余りの費用を投じて「おしやれの店三愛」として広告宣伝したばかりでなく、国税庁が毎年発表する全国宅地の最高路線価(課税標準地価)において、前記三愛デパートの存する尾張町角地附近が全国で一位を占めている旨の記事が昭和三三年頃から朝日、毎日、読売等の各新聞に掲載されたり、また、朝日新聞の家庭欄に「東京銀座三愛調べ」としてハンドバツク、サイフ等の商品の市場価格を紹介する記事が掲載されたり、さらに、原告会社の創設者であり、且つ立志伝中の人である前記市村清の経営哲学、経営方針が各種新聞、雑誌にしばしば紹介されたりしたことなどから原告が全国主要都市の若い女性の間で「三愛」又は「おしやれの店三愛」として知られるようになつたこと、
以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
以上認定の事実に、証人碇毅、同山口和正の各証言並びに本件口頭弁論の全趣旨を総合すると、原告会社の「株式会社三愛」の商号、その略称又は通称である「三愛」及びそのローマ字で表わした「SAN-AI」並びに「おしやれの店三愛」の表示が原告の商品又は営業であることを示すものとして少なくとも被告会社代表者田中徳七が個人として「メンズシヨツプ三愛」の商号の使用を開始したと主張する昭和三六年八月当時には、すでに東京都を中心にその周辺は勿論、大阪市内等の全国主要都市で需要者に広く認識されていたことが認められる。
ところで、被告は、「原告は右昭和三六年八月当時京阪神地方には三愛コーナーもその支店も未だ開設していなかつたので、その商号は右時点においては少なくとも京阪神地方では周知性がなかつた。」旨主張するところ、証人碇毅、同山口和正の各証言によると、なるほど原告は昭和三六年八月当時には京阪神地方においては三愛コーナーもその支店も未だ開設していなかつたことが認められるけれども、他方右各証言によると、すでに昭和三四年頃大阪市内の著名な三つの百貨店から原告に対し三愛コーナー出店の要請がなされたところ、原告としては当時一都市一店主義を堅持していた関係上、その調整を前記百貨店側に委ねた結果、それに日時を要し、結局、大阪市内には昭和三八年になつてほぼ同時期に例外的に十合とアベノ近鉄の各百貨店に三愛コーナーが開設されるに至つたことが認められるので、この事実に照らすと未だ右認定事実のみでは原告会社の商号等の周知性に関する前記認定をくつがえすことはできない。
(二) そこで、被告の商号「株式会社ミスターサンアイ」が原告の商号「株式会社三愛」と類似であるかどうかを考察すると、両商号に冠する共通の「株式会社」の文字がその会社の種類を表示する文字であることは明らかである。
したがつて、両商号の類否判断は「ミスターサンアイ」と「三愛」の部分についてなされるべきである。
しかして、被告の商号のうち「ミスター」の部分はLord General Doctor等特種の尊称、称号の附かない男子又は官職名に冠される英語misterをカタカナで表示した字句で、通常、様、殿、氏等以外に格別の意味を有するものではないので、とうてい商号識別の基準とはなしえない。
そうすると、被告の商号は「サンアイ」をその主要部分とするものといわなければならない。
したがつて、被告の商号はその主要部分において右(一)に認定したとおり本邦の地域内で広く認識された原告の商号の主要部分である「三愛」と外観は異なるけれども、呼称観念が同一であるというべきであるから、両者は類似するものといわなければならない。
(三) 次に被告が原告の営業上の施設又は活動と混同を生ぜしめているか否かについて検討する。
前記認定のとおり原告は「おしやれの店三愛」という呼称で主として若い女性を対象に独創的な意匠による衣類、服飾品を販売しているところ、<証拠>によると、原告は前記昭和三六年八月以降も全国主要都市の百貨店等の要請により別紙「三愛コーナー開設年次表」に記載のとおり三愛コーナーを増設し、また、昭和四六年一〇月以降原告が自己の名と計算において「銀座三愛」の看板を掲げて直接顧客に販売するいわゆる三愛シヨツプを別紙、「三愛シヨツプ開設年次表」に記載のとおり全国各地の著名百貨店内に順次開設し、さらに、その支店を昭和三六年一二月以降も別紙、「三愛支店設置年次表」に記載のとおり逐次増設して昭和四八年一〇月には大阪市北区角田町三番地の阪急フアイブ三階に大阪梅田店を開設したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
他方、前記二に認定した事実に、<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。
すなわち、訴外田中徳七は、洋品店を開業した昭和三六年八月からその三号店を開設した昭和四四年までの間は、大阪市北区天神橋筋において売場面積も合計66.11平方メートル(二〇坪)余りの小規模な経営をしていたところ、昭和四五年一〇月二五日に大阪市南区の千日デパート内に99.17平方メートル(三〇坪)のジユン・シヨツプを四号店として開設して以来、同所に昭和四六年四月には33.05平方メートル(一〇坪)のエドワード・ブテイツクを併設し、また、同年五月には右と同面積のヴアン・コーナーを増設して若い男性を対象にジユン、ヴアン、エドワード等の著名なメーカーの紳士服飾洋品雑貨の販売に主力を注いだところ、これが顧客に受け入れられて飛躍的な発展を遂げ、昭和四六年一二月三日には前記阪急フアイブ二階に99.17平方メートル(三〇坪)の五号店を、同四七年一〇月頃には前記富国ビル地下街に33.05平方メートル(一〇坪)の六号店をそれぞれ開設し、同四八年六月一日には事業の一層の拡大と従業員の意気の高揚を図るため前記田中徳七個人の営業を全部譲渡して被告会社を設立し、さらに、同四九年一二月一日には前記ナンナンタウン内に七号店を開設した。
そして、阪急フアイブは八五店舗のうち、その八割が原、被告と同様に衣料店を営んでいるところ、現在その売上高においては原告も被告も最上位を占めている。
以上の各事実が認められ、右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
以上認定した事実、とりわけ原、被告は男女の別があるとはいえ、いずれも若い顧客層を対象に服飾洋品の販売をその主たる営業目的としていること及び原告が昭和三八年に大阪市内の十合、アベノ近鉄の各百貨店に三愛コーナーを設置し、また、昭和四八年一〇月には阪急フアイブ内にその支店である大阪梅田店を開店して以来、大阪市内においても一層著名となつたのに対し、被告も昭和四五年に千日デパート内に四号店を開店してからはその経営規模がかなり拡大し、阪急フアイブ内ではその売上高において原告と最上位を競つていることのほかに、前記認定の原、被告の両商号が類似していることを考え合わせると、被告が紳士服飾洋品等の販売に「株式会社ミスターサンアイ」という商号を使用することによつて、被告が恰も原告会社の男性服飾洋品販売部門の会社であるか、あるいは同系列の会社である等、原告会社と何らかの関係があるかのように、原告の営業上の施設又は活動と誤認混同を生ぜしめるものと認められ、証人白川祐一、同緒方吉伸の各証言中右認定に反する部分は、多分に主観的な見解であつて、とうてい措信できず、他には右認定をくつがえすに足りる証拠はない。
このことはいずれも撮影日時及び被写体につき<証拠>により認められるつぎの事実、すなわち、
阪急フアイブ一階荷受場には各テナント用の郵便受があるところ、原告の郵便受には「三愛」と、被告の郵便受には「ミスターSAN-AI」と、また、各店舗の案内板には原告については「ヤングレデイスフアツシヨン東京ギンザ三愛」と、被告については「紳士服ミスターサンアイ」とそれぞれ表示されているにもかかわらず、被告会社宛の郵便物が原告会社の右郵便受に投函されることがしばしばあつたばかりでなく、原告宛の小荷物が運送業者により被告宛に誤配される等したこと、
顧客の中には阪急フアイブ二階の被告の五号店を原告の男性服飾洋品販売部門の店舗であると誤認する者がいたこと、以上の各事例によつても首肯されるところである。
(四) 最後に被告の前記商号の使用行為により原告が営業上の利益が害されるおそれがあるかどうかについて判断する。
右(三)において認定した事実によれば、他に特段の事情の認められない本件においては、原告は被告の「株式会社ミスターサンアイ」なる商号の使用によつてその営業上の利益を害されるおそれがあるものといわなければならない。
もつとも、被告は、「原告は女性用品のみを販売しているのに対して、被告は男性用品のみを販売しているためその顧客の対象が全然異なるので、被告の前記商号使用により原告の営業上の利益が害されるおそれはない。」旨主張するところ、証人碇毅、同山口和正の各証言及び被告会社代表者の供述によると、なるほど被告は男性用品のみを販売しているのに対し、原告が目下のところ販売している商品のほとんど全部は女性用品であるけれども、原告は男性用品は全く販売しないとの営業方針をとつているわけではなく、その商品の選択を各店の店長の判断に委ねていることがうかがわれ、現に男女ペアの服飾品、男性用化粧品、ネクタイ等一部男性用品をも販売している店舗も存することが認められるので、右事実によると、原告も将来男性用品部門にさらに一層進出する可能性を否定できないばかりでなく、原、被告の顧客対象である若い世代の人々の間において、男性向き、女性向きを余り気にすることなく最新の流行を求めフアツシヨンを取り入れる傾向がある結果、男女服飾品の識別が従前ほど明確でなくなつたし、女性が男性用品を購入する機会も多くなつたことを考慮すると、被告の販売商品が男性向きのものだけであるとの事実を原告の営業と無縁のものとみることができないので前記認定のとおり被告が原告と何らかの関係がある会社であると誤認混同されることによつて原告の営業上の利益が害されるおそれがあるといわざるをえないので、被告の右主張は採用することができない。
また、被告は、「被告はジユン、ヴアン等のメーカーの商品のみを販売し、自己ブランドの商品は取扱つていないのに反して、原告は自己ブランドの商品を販売しているので、両者はその営業形態を異にする結果、被告の営業活動によつて原告の営業上の利益が害されるおそれはない。」旨主張するけれども、証人碇毅、同山口和正、同緒方吉伸の各証言及び被告会社代表者の供述によると、被告はジユン、ヴアン、エドワード等のメーカーが製造した商品のみを販売しているけれども、原告はその販売にかかる全商品のうち三、四割程度を自己の製造した商品が定めているが、その余はレナウン、ワールド等被告と同様に第三者の製造にかかる商品を販売していることが認められるので、原告が自己ブランドの商品のみを販売していることを前提とする被告の右主張も採用することはできない。
(五) 被告は、「その前主である訴外田中徳七は、原告の商号が本邦の地城内で需要者に広く認識される以前である昭和三六年八月から原告の商号と類似の商号を善意に使用していたところ、被告は右訴外人より営業とともにその商号を承継したものである。」旨主張するところ、<証拠>によると、訴外田中徳七は、昭和三六年八月に洋品店を開業するに当つて、その妻が宝塚歌劇において同年七月一日から三〇日までの間公演された「三つの愛の物語」にヒントを得て吉祥運の一六画である「三愛」という表示を思いつき、その進言を入れて「メンズシヨツプ三愛」という商号を使用するに至つたことが認められるけれども、原告の商号が右昭和三六年八月当時すでに、本邦の地域内において、需要者に広く認識されていたものであることは、前記認定のとおりであるから、被告の右主張は採用することができない。
(六) そうすると、原告の不正競争防止法一条一項二号にもとづく請求は被告の「株式会社ミスターサンアイ」なる商号の使用の禁止を求める部分は勿論、その抹消登記手続を求める部分も理由がある。
もつともこのような場合について商号のみの抹消登記を認めるべきではなく、商号の変更登記として認めるべきであるとの見解がある。しかし、実体法上ある商号の使用を禁止すべきであつて、かつ登記簿上もかかる商号の登記が存在することを否定すべきときに、その商号のみの抹消登記手続請求を肯定すべきか否かは、専ら商業登記の登記手続上商号のみが抹消されている登記が存在することを肯定してよいか否かという立法政策上の問題と考えられるところ、商業登記法第二四条第一五号は商号のみが抹消されている登記が存在することを前提としたうえで、その後の登記申請に一定の制約を加えて商号が抹消されている不自然な登記を正常な状態に回復せしめんとした規定と解するのが相当であるから、商業登記法上は一時的に商号のみが抹消される場合があることを肯定しているものというべく、しかも、主文で商号の変更登記手続を命じてもそれのみでは適切な強制執行の方法がないが、抹消登記手続を命じた場合には、これを執行することが容易であることはいうまでもないから、主文では商号の抹消登記手続を命じた場合の方が紛争解決の方法としてむしろ妥当であるといえる(なお、最判昭和四二年四月一一日民集二一巻三号五九八頁は抹消登記手続請求が許されないと判示した判例と理解する必要はないと解する。)
五結論
以上の事実によれば、原告の本訴請求は、主文掲記の範囲内において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条九二条を適用して、主文のとおり判決する。
(大江健次郎 小倉顕 北山元章)
三愛コーナー開設年次表
設置店名
所在地
設置年月
マルヒロ
小田原市銀座通り
昭和34年5月
百反
仙台市中央2-2-27
昭和34年9月
佐金
鶴岡市駅前通り
昭和34年9月
大和
新潟市古町通七番町952
昭和34年9月
大沼
山形市七日町465-1
昭和34年9月
扇屋
千葉市中央4-6-3
昭和34年10月
近藤
横須賀市大滝町2-21
昭和34年11月
そうご
札幌市南二条西2丁目
昭和34年11月
田中屋サロンストアー
静岡市呉服町1-7
昭和35年3月
岩田屋
福岡市天神町17
昭和35年4月
志満津
水戸市泉町1-1128
昭和35年5月
藤越
平市田町9
昭和35年6月
大和
長岡市大手通2-724
昭和35年6月
天満屋
広島市胡町5-22
昭和35年6月
大和
金沢市片町2-2-5
昭和35年9月
やまとやしき
姫路市中二階町1
昭和35年9月
丸物
岐阜市柳ケ瀬通1-12
昭和35年9月
天満屋
岡山市表町2-1-1
昭和35年9月
松木屋
青森市新町64
昭和35年9月
中合
福島市大町7-17
昭和35年10月
岡政
長崎市浜町4-11
昭和36年3月
東京丸物
東京都豊島区南池袋1-28-2
昭和36年9月
ちまきや
山口市中市町3-3
昭和36年12月
豊橋丸物
豊橋市駅前大通1-43
昭和37年3月
トキハ
大分市府内町2-1
昭和37年3月
ちまきや
宇部市常盤町2-1-9
昭和37年3月
鶴屋
熊本市手取本町6-1
昭和37年3月
大和
富山市西町7
昭和37年3月
林田ストアー
鹿児島市東千石町65-27
昭和37年4月
丸正
和歌山市本町2丁目
昭和37年4月
丸新
徳島市東新町1-30-2
昭和37年4月
岡島
甲府市丸ノ内1-21-15
昭和37年7月
四日市近鉄
四日市市諏訪栄町7-34
昭和37年8月
藤井大丸
京都市下京区寺町通四条下る貞安前之町605
昭和37年11月
上野
宇都宮市相生町2
昭和37年11月
リュウボウ
那覇市松尾259-2
昭和38年2月
十合
大阪市南区心斎橋筋1-38
昭和38年5月
アベノ近鉄
大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1
昭和38年8月
相鉄
横浜市西区北幸町1-6
昭和38年10月
ホテル三愛
札幌市中島公園内
昭和39年7月
丸栄
名古屋市中区錦3-23-31
昭和39年8月
天満屋
福山市元町1-1
昭和40年3月
大和
高岡市宮脇町1100
昭和40年7月
丸屋
鹿児島市呉服町6-5
昭和40年8月
松菱
浜松市鍛治町124
昭和40年9月
浜屋
長崎市東浜町88
昭和41年3月
梅屋
平塚市新宿1450
昭和41年3月
うすい
郡山市中町13-1
昭和41年4月
梅屋
厚木市中町2-13-12
昭和41年5月
樺二森屋
函館市若松町17-12
昭和41年12月
丸光
仙台市中央1-9-33
昭和42年3月
徳山ステーションビル
徳山市御幸通2-28
昭和44年9月
近鉄上本町
大阪市天王寺区上本町6-1-1
昭和48年6月
(以上53ケ所)
三愛支店設置年次表
店名
所在地
開設年月
本店
東京都中央区木挽町5-2
昭和23年8月
日本橋店
東京都中央区日本橋室町1-5-1
昭和23年8月
銀座店
東京都中央区銀座5-2-1
昭和23年8月
西銀座店
東京都中央区銀座4-1先 西銀座デパート内
昭和33年10月
札幌店
札幌市中央区南二条西2-23 そごうデパート内
昭和35年7月
みゆき店(1)
東京都中央区銀座5-4-9
昭和36年3月
小倉店
北九州市小倉区船場町2-6 東映会館内
昭和36年12月
川崎店
川崎市川崎区日進町1-1 日航ホテルビル内
昭和39年8月
新宿店
東京都新宿区新宿3-27-1 武蔵野館ビル
昭和43年11月
吉祥寺店
武蔵野市吉祥寺本町1-8-7
昭年44年9月
横浜元町店
横浜市中区元町5-181
昭和44年11月
神戸三宮店
神戸市生田区三宮町1-5-2 さんプラザビル
昭和45年3月
ジュアン
北九州市小倉区船場町2-10
昭和45年4月
みゆき店(2)
東京都中央区銀座6-8-1
昭和45年8月
吉祥寺ターミナル店
武蔵野市吉祥寺南町2-1-25
昭和45年11月
福岡店
福岡市中央区天神2-8-36
昭和46年10月
金沢店
金沢市武蔵町15-1 スカイブラザ内
昭和48年10月
横浜西口店
横浜市西区南幸1-5B1 相鉄ジョイナス内
昭和48年10月
大阪梅田店
大阪市北区角田町3 阪急梅田会館内
昭和48年10月
三愛ショップ開設年次表
設置店名
所在地
開設年月
西武
静岡市紺屋町6-7
昭和46年10月
〃
沼津市大手町5
昭和46年11月
大沼
山形市七日町1-2-30
昭和47年3月
西武
大宮市宮町1-60
昭和47年10月
アーバン中込
甲府市丸ノ内1-8-5
昭和48年3月
上野
宇都宮市相生町2
昭和48年3月
西武
船橋市本町1-2-1
昭和48年6月
鶴屋
熊本市手取本町6-1
昭和48年10月
西武
豊橋市駅前大通1-43
昭和48年11月
とでん西武
高知市南はりまや町1-8-1
昭和49年4月
西武
八王子市中町2-1
昭和49年4月
東京近鉄
武蔵野市吉祥寺本町1-2103
昭和49年5月
(目録)